玄人が一つの宝石もみてこれは幾ら位のものかが判るのは玄人が数多くの宝石をみているからに他ならない。
つまり玄人はこの位の大きさこの位の輝きこの程度のキズのものは幾ら位であるという、ちょうどもの指しの目盛りのようなものと持っているのである。
この目盛りの正確さはその人がみた宝石の数の多さに大体比例する。
多く見れば見るほどこの目盛りは性格に精密になるのである。
ただこのことは又、安物の宝石ばかりみていると安物に対するもの指ししか持てないということも意味する。
逆に上物ばかりみていると上物の判断は的確でも安物の価値判断はつきかねるということにもなる。
だから、素人で宝石をたくさん持っている人は、もの指しの短い玄人よりも判断が正しいばあいがある。
このような訳でジュエリーメーカーに勤める新入社員でも在庫の商品を絶えずよくみている人とそうでない人とでは、宝石に対する鑑定眼に大きな開きがでてくる。
つまり宝石の価値の正しい判断力をつけるには数多くの宝石を比較してみるという方法しかないといっても過言ではない。これは絵画や陶器など他の美術品についても言えることではないだろうか。
では、素人がこのもの指しを持つためにはどうしたらよいか。
まず、五万円でも十万円でもいいから自分が率直にきれいだ、魅力があると思ったものを買うことである。
すると不思議なもので必ず他人の持っている宝石、宝石店のウィンドウにある宝石と、という具合に機会ある毎に比較してみたくなるのである。
自然と宝石をみることが多くなり次第に自分のもの指しをもつことができるようになる。
そして次に買う時は驚くほど判断力がついているものである。
このように回を重ねて自分がもの指しを持っていることが実感として感じ始められるとこれ程面白いものはない。
私などもいいものを無性に欲しくなり、上へ上へといいものが欲しくなる。外国へ仕入れに行き非常に魅力のある宝石をみると、商売抜きで一晩中迷いつづけ眠れないことがある。
そして、その挙句それを手に入れた時の喜びは格別である。
この点、素人も玄人も宝石を買う喜びになんら差はないのだと思われる。
4.宝石の稀少性と流動性
依田和郎(先代)「宝石について考える」