依田忠治郎 昭和十三年六月二十一日 読売新聞掲載
問) 珊瑚商は儲かりますか。
(答)
イエ皆儲けては損し更に成功しません。その理由は漁業者は珊瑚を発見すると大喜びで有頂天になりますが、
名は華やかでもイザ事業となると採れ方が不平均ですのと価格が浮動して(外国次第故)困るのと“甲”地で
積極策にでた頃“乙”地では大採取が突発すると(魚と違って逃げませんから)忽ち暴落大損をして仕舞います
為に中止した土地もあります。仲買問屋また同じ思惑をして買溜めた頃“乙”地大発見の報がありますとその方
へ買に廻る為に従来の手持ち品を捨て売りにせねばなりません。(台湾の外珊瑚金融機関なし)台湾その他で
大正十三年故棚瀬先生と金沢氏のご尽力に依り台湾では赤司氏を社長に後宮氏・中辻氏・近江氏・両木村氏
・神戸楢崎氏・大阪川口氏・東京依田の最も有力なる連合軍で元農林省官吏、故小川誠一氏を専務に東洋珊
瑚株式会社を経営しましたが遂に一カ年で解散して仕舞いました、実に遺憾に堪えません。
(問) ではどうすればよいのですか。
(答)
珊瑚は、日本が世界唯一の産出国で許可漁業ですから法規を改正して之を統制し何処でも
採れても一旦、国策会社へ買上げ販売市場を全国一カ所とし、毎年適当の所領額だけを売
ればよいのです。斯うすれば漁業者は安心して出漁し商人も販売政策に熱心に得ます。
従って工人も技術の進歩を期し得ます。現在はある時は大豊富で無い時は又品切れに悩ま
されます。
そして金融の道を開き、内地産に物品特別税を免除し進んで世界の需要国に視察者を特派し、
伊太利には技術留学生を置き、加工宇出の奨励をすれば数年ならずして、国の華たる特産品
となることは明らかです。
(問) なぜ商人中でそれをしないのですか。
(答)
従来の商人には遺憾ながらその視力を持ちませんのと、産地が各県ですから個人の力では
如何とも出来ません。各県採り競争、売り競争、実に情けなくなります。
(問) 政府は、なぜ捨て置きますか。
(答)
年々の輸出金額が百万円未満のためと特殊産業で理解がないからです。然しそれは原料
輸出であるからで加工すれば幾倍に昇ることは明らかであります。これからは躍進日本です。
我々はあながち政府の力にのみ頼むものではありあませんが、政府が其方針で保護して
下されるなら自賛ながら、筆者初め其意志に燃ゆるもの多々あります。
(現状は有力者は段々転業します)
歴代大日本水産会長故松下氏、故槇氏、故伊谷氏、現会長三井氏、帝国水産会長野村子爵
こそ、忝き理解者であります。
(問) 統一したら伊太利人は困りますか。
(答)
イエイエ決して困りません却って喜びます。先年各産地、品薄の時、伊太利商の店員来朝、
十五万円ほど買い占めて帰国の途中、小笠原発見一挙に半額から1/3に下落の報に接し
狂気した秘語があります。年々一定数平均値段であれば安心して取引が出来ますから喜ぶと
思います。もし、日本から原料が行かなければ職人も困ります、第一伊太利珊瑚の誇りがなく
なります。一部の材料を密接に取り引きするも亦、日・伊親善の第一と存じます。漁業採算
安全となれば原料も豊富となりましょう。
(問) 珊瑚はなぜ宝でしょう。
(答)
鬼ヶ島の昔より七宝の随一と賞美されますが海中より採るものにて水揚後変色せず紫外線
に堪え得るものは珊瑚と真珠の外ありません。これを採るには、黒潮に乗って働くこと故年々
歳々犠牲者を出し殊に命じ四十三年八月長崎県南松浦郡五島女島に於て珊瑚鰹船難破し
て千八十余名の壮丁を空しく海底の藻屑と化し現に五島富江港にその記念碑があります。
現今は機械船で作業しますから、こういう事は稀になりました。
(問) あの色素は、なんでしょう。
(答)
筆者は特に研究室を作り浜口文二農学士を専任し、二カ年研究しましたが判りません。
太陽の光線の作用するものと思います。先年水産講習所の丸川先生と豆潜航艇に乗って
沈んで見ましたら海底が明るいのにおどろきました。四十メートルの海底で新聞紙が読めます。
(問) 真珠とは、どう違いますか。
(答)
真珠は養殖が出来、海から採ったまま使用できますが、珊瑚は採れたものが原料でこれを
伊太利は買って世界中に支那は蒙古に加工販売します。故に日本から加工して売り出せば
幾倍の国益たること請合です。且つオリンピックに際しては絶好の国華宣伝と存じます。
面白いことに白人と日本人は薄桃色を、黒人種は真赤な色を桃と白は米国人が好みます。
各々其肌色に依ると存じます。