宝石を持つことにどんな意義があるだろうか。

先ず第一は、心の豊かさを持つことができるという事になるだろう。

最近よく人間性の回復ということがいわれるが、宝石のもつ神秘性に心打たれその美しさに感動することは、まさに人間的な心の動きだと思われる。

この宝石の神秘的な美しさに対する畏敬の念にも似た感動こそが宝石を持つことの一番大きな喜びであろう。
この他にも宝石を持つことの意味はいろいろあるだろう。

例えば、婚約者に贈るエンゲージリングは宝石が永久に不滅であることから変わらぬ愛を誓うシンボルとしての意味を持っているのだろう。

そしてまた、宝石は極めて人間臭い欲求だる所有欲、地位欲や特権欲を満たしてくれるステータスシンボルとしての意味をも持っている。

このように宝石を持つこととは精神的満足感を得るということであり、宝石は値上がりするからという目的で買うものではないのである。
つまり、宝石とは本質的に空価物なものであり、宝石の価値は持つ人の心が決めるといってもよい。

ただ良質の宝石は供給の絶対量が非常に少ないため値上がりする。
しかしこれはあくまでもグレードの高いものだけに限られる。

よく宝石を初めて買う人が何年位たったらどれ位値上がりするだろうかなどとたずねることがあるが、そんなことを考えて宝石を買う人は本来宝石を買う資格はないといってよい。
価値をふやす財は他にみるけるべきだろう。

宝石を持つことはその不変の輝くの中に神秘的な人間ドラマを見いだすことなのである。

宝石は永久に不滅である。

人間は時がたち環境に変化が起こったりすると他の人を裏切ったりすることがある。

この点、宝石は決して人を裏切ることはない。宝石は正直である。

品質のよい宝石は持つ人のにとって一生魅力的で感動的なものであるはすだ。

ただ買った時は満足しても時がたって失望することがあったとすればそれは買った人の方に責任があるのである。

宝石を買う時本来の目的である美しさを求めることから離れ他の邪念に心を奪われこの邪念が重なりあって結果的に宝石を裏切ることになるのである。

以上、いろいろと宝石に対する私見を述べてきたが、私はグレードの高い宝石を一つでも多く世に供出し一人でも多くの人が、たとえ一万円の宝石でもその宝石を通じ心の中に豊かな満足感とゆとりを持ってもらう事を願っているのである。

世の中は益々複雑化し規格化されていくが、宝石自体の世界は理屈では割りきれないものを持っている。

そんな世界が人間の生活していく中に必要なのであり、こうした分野を満たしていくのが宝石の使命であり、持つことの意義だと考えている。

依田和郎(先代)「宝石について考える」

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